歴史と感動の旅 木曽路を歩く/前篇
信州の夏山を終えて車で帰る時に、奈良井宿・馬籠宿を駆け足で通過して、家に帰り貰った木曽路のパンフレットや藤村の「夜明け前」を引っ張り出してざっと読み返してみると、少し時間をかけて木曽路を歩いて歴史を感じて主人公の青山半蔵・島崎藤村達が仰ぎ見た恵那山にも登ってみたくなり、秋に出かけてみたくなり計画を立てました。木曽路は90km程ありますが、今はトラックが頻繁に走る国道19号に重なっている個所も多く、比較的昔の面影を残す区間を3日程度歩き、合わせて木曽路に近い恵那山と御嶽山を登る計画を立てました。街道歩きは主として奈良井宿から鳥居峠を越えて薮原宿、中山道の中でも重要な関所があった木曽福島宿、それと最も昔の佇まいを残すと言われている妻籠宿から馬籠宿に至る峠越え区間を主体に考えました。
10月2日 漆器の街平沢
桜沢にある『これより南木曽路』の碑から京都に向け
スタートです。碑の裏には紀元2600年正月建立とありました。古い中山道が国道を高巻いて残っているので碑の前の土手を斜めに上がって歩きました。途中に馬頭観音が祀ってある。細い街道が続き眼下に奈良井川が流れ谷は狭い。国道に戻ると民家横に明治天皇行在所の碑がありました。片平橋を過ぎて片平に入ると山側に街道は残るので其処を歩きましょう。贄川宿に入る所に復元された贄川番所があります。贄川は国道よりもかなり低く奈良井川の近くに下る。昭和初期に大火があり、昔の面影は無いようです。次の宿場の奈良井宿の間にある平沢は木曽漆器の街でどの家も漆器を作る作業の家が軒を連ねています。国の重要伝統的建造物群に選定されています。偶々その一軒の漆器店に入り店に並ぶ漆器について質問していると、作っている工房を見せてもらいました。そこは土蔵(塗蔵ヌリグラ)の中にあり、若い職人が3人それぞれの工程を分担して働いていました。土蔵の中は湿度、温度が安定しているからいいとのことだが、塗蔵はこの街でも少なくなったそうでした。
車を奈良井宿の端に当たる奈良井駅の駐車場に置いて、日差しの中を歩き始めました。奈良井宿は木曽路の中でも妻籠宿を並んで昔の風情を残した美しい家並みが続いていて、山から曳かれた冷たい水を旅人に供給した水場も各所にあります。街並みが切れる辺りに神社があり其の先から山道に入ります。昔ながらの石畳が続き一里塚跡も街道らしい。そのうち山道に栗が落ちている。立派な粒もあるので拾っていると直ぐに袋が重くなりザックに入れる。余り拾っていると時間が経ってしまうので止めようとしても大きなのが目に入りつい拾ってしまう。
峠近くの茶屋跡は休息所に造りかえられている。此処に3軒の茶屋があったそうです。すぐ横には山水が引かれ美味しい水が飲める。峠は海抜1,197m中山道で最も高く、日本海と太平洋の分水嶺となっている。熊除けの鐘が吊るしてあり整備された遊歩道になる。大きな栃の木が谷側に植わっていた。
奈良井宿から街道の最高点鳥居峠を歩く
奈良井宿に入りJR奈良井駅の駐車場に車を止め日差しの中を歩き始めた。奈良井宿は木曾路の中でも妻籠宿と並んで昔の風情を残した美しい家並みが続いています。冷たい水を旅人に供給した水場も各所にある。この夏に歩いたので余り時間をかけないで宿場を歩き、街外れの神社のすぐ先から入る鳥居峠を越える山道に入った。昔ながらの石畳が続き一里塚跡も昔の街道らしい。栗が沢山落ちている。拾っているとすぐに袋が重くなりザックに入れる。余り拾うと時間が経つので止めようとしても大きく立派なのが目に入りつい拾ってしまう。
木曽義元が戦勝祈願で建てた鳥居がありその奥に御嶽遙拝所がある。この鳥居があるので鳥居峠の名があるとか。「ひばりより上にやすろう峠かな」という芭蕉の歌碑もあった。気持ちのいい草付道を下ると御鷹匠役所跡の石柱があり、説明板に尾張藩の鷹匠が鷹を飼育管理していた所とか。
ようやく藪原宿に降り立ち、100年以上経過の立派な民家を利用した蕎麦屋に寄り日本酒を頼んで美味しい手打ち蕎麦を食べた。酒が美味しいので銘柄を聞くとすぐ前が醸造元と聞いて、出てから一本買ってザックに入れた。
時間もまだあるので次の宮ノ越宿まで足を伸ばしたが、山吹橋までは国道19号線の歩道を歩くだけで何も面白くない。国道を離れ、木曽義仲の妻巴御前は龍神の化身でそれが住んでいた巴淵なるものを過ぎ義仲の菩提寺、徳音寺に参りそこから近い義仲館は外から見ただけで宮ノ越駅に着いた。周囲には何もなく、列車を待って車を置いてある奈良井駅まで戻った。
*厳しい関所があった福島宿
10月3日(水)車を木曽福島駅のPに預け歩く。福島宿には関所があり代官が置かれ木曽の中心であった。街中の道は何か所も直角に曲がる桝形が顕著で今もその姿がそのまま残っている。代官屋敷が復元されているが、当時の下屋敷の一部に過ぎないとのことで、その権勢の大きさを窺わせるに十分だ。展示資料の中に、浅野内匠頭が自分の家来の下女二人の通行を取り計らってくれるように京都所司代に頼み、所司代の板倉周防守が裏書きしている書面があるのを見ると、如何に女改めが厳しかったかが分かる。福島関所も復元され模型を見ると全くこの地が木曽川を挟んだ険阻な地であり関所として格好の地形であったことが分かる。関所の隣には代官の用人であった高瀬家が公開されている。高瀬家14代の当主に島崎藤村の姉が嫁いだ先で著書「家」の舞台であり、当時の姉の写真等資料が展示されているのが興味を引く。宿場内をあちこち歩いてみると宿内には平地が限られ、土地が狭いので木曽川に家をせり出して建てる崖屋造りが今でも残っているのが面白い。
その後駅に戻り車を須原駅に移動し、須原宿の家並みを見て明治天皇も休息した定勝寺の古刹を尋ね、また昔ながらの中山道の面影が残る街道を歩き、中山道六十九次の英泉画にある岩出観音を見ながら、次の大桑駅まで歩いた。
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